38=三田小学校跡

碑文:

三田小学校とは、明治6年5月静学館(妻田村)支校「三田小学校」としてこの地に創立され、明治20年に「尋常三田小学校」と改称し、昭和48年7月に児童の急増にともない、現在の場所に移転された。

八幡神社階段上り口右側に設置されています。分かりずらい場所です。

37=質入れ道

碑文:

江戸時代の農村は、豊年の年はともかく、凶作の年には年貢を納める金子がなく、田畑を質入れして年貢を納めるため、荻野新宿の質屋へこの道を通ったと伝えられている。

この道標を探し当てる難易度は非常に高い所でまるで人の家の庭に入っていくような錯覚を起こす場所でした。

36=睦合村役場跡

碑文:

明治22年に三田、及川、林、妻田、棚沢、下川入の6箇村により愛甲郡三田村外5箇村組合村となる。その後、昭和20年に6箇村が合併し、互いに仲良く睦み合うという意味から睦合村となり、昭和30年までこの地に村役場が置かれた。また、平安時代、この一帯は、印山郷と呼ばれていた。

三田老人憩いの家入り口に設置されています。

35=才戸の渡し

碑文:

北は武蔵国八王子から、南は大住郡矢名村(現秦野市)をつなぐ矢名街道で、この道には、上依知とここの2ヶ所に渡しがあり、江戸時代には、武蔵国からの相州大山参詣道として、たいへんなにぎわいをみせた。