37=質入れ道

碑文:

江戸時代の農村は、豊年の年はともかく、凶作の年には年貢を納める金子がなく、田畑を質入れして年貢を納めるため、荻野新宿の質屋へこの道を通ったと伝えられている。

この道標を探し当てる難易度は非常に高い所でまるで人の家の庭に入っていくような錯覚を起こす場所でした。

26=寺坂

碑文:

坂下には善明山源養寺があることから、当地区では寺坂、または、下(しも)の坂と言う。昭和38年の改修でコンクリート路面になったが道幅が狭く、平成3年に道幅を拡張し、全面改修された。

24=中の坂

碑文:

下川入郷の住民は、昔、中津川左岸地域に居住していたが、中津川の氾濫により逐次上段台地に多くが移住した。上段への坂は3本あり、この坂は以前には、坂の下に蘆が繁茂していたところから葭(よし)坂と呼ばれていたが、現在では3つの坂の中央にあることから、中の坂よ呼ばれている。

19=鵜藤坂

 

相模川は、平安時代に鮎川と呼称され、江戸時代には鮎を将軍に献上しました。
当時の鮎漁には鵜飼があり、この坂を藤兵衛(とうべえ)さんが鮎をとるために鵜
水鳥)を連れて通っていたことから、「鵜藤坂」と呼称されるようになりました。
現在、鵜飼は岐阜県長良川が有名です。

 

18=堂坂

ここは情報に振り回されて何度も何度も上依知小の周りをグルグル回ってしまった場所です。

情報の住所・緯度・経度も違っていました。508号線の下の道にありました。近くにはAQUA Pizzaさんが有ったのでピザ食べればよかった。

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碑文:

坂の途中に七面堂(観音堂)があり、この七面堂へ参拝したので堂坂と呼ぶようになった。
今は七面堂はなく、観音像は宝泉寺(ほうせんじ)に安置されている。

 

 

17=馬坂

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昔、猿ヶ島へ渡ってきた人が大山参詣に通った道であるが、当時、依知地区には多くの馬が飼育され、農耕以外にも厚木方面への荷物輸送に馬が使われ、この坂を通ったところから馬坂と呼ばれた。