35=才戸の渡し

碑文:

北は武蔵国八王子から、南は大住郡矢名村(現秦野市)をつなぐ矢名街道で、この道には、上依知とここの2ヶ所に渡しがあり、江戸時代には、武蔵国からの相州大山参詣道として、たいへんなにぎわいをみせた。

21=猿が島の渡し

碑文:

江戸時代から昭和初期まで、この地に渡船場があった。

猿が島村民は、相模川中洲の耕作地に通うため利用した。

また対岸磯部村とを結ぶ大山道の渡しでもあり、大山参りの旅人に利用されたという。

昭和初期まで、相模川を往来する物資運搬の帆掛け船の発着地でもあった。

32=相模国中依知郷渡し

No.25 相模国中依知郷渡し

川と圏央道と坂道。

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相模川の本流はかつて現在の水田地帯まで川幅があったと伝えられ、当時この付近に渡船場が設けられていた。川向いには高座郡座間新田宿村があり愛甲郡中依智村との往来や耕作のために利用されていた。その後、渡船場は本流の流とともに新田宿村側がわに移り、昭和20年ごろに木橋ができたことから姿を消した。

所在地 厚木市中依知915-1番地先

20=上依知渡船場

何度か通った道も横断歩道に何気なく設置されていた。ここも住所表記を地図で検索された場所ではなく近隣を何度も徘徊してしまった。道路向かいの広場の先が渡船場だったのか?

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中世から古道八王子道の上依知村と対岸当麻村を結ぶ相模川の渡船場があった。
江戸時代に盛んとなった大山参りには、埼玉・八王子方面からの大山道として大いに利用された。
明治期には上依知に委託運営されていたが、昭和三年の増水で渡船に被害が出て、昭和橋が完成した昭和六年、その役目を終えた。

14=上依知の渡し

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「一遍上人の念仏」。ここは、昔から渡場(わたっぱ)といい渡し船のあった所で、700年前一遍上人が水難防除の念仏を唱えられた所である。
特に子供の事故が続いたので、人々の安全を願って、一遍上人三十代の他阿上人(たあしょうにん)が、室町時代に建立されたのがこの名号塔である。

 

1=厚木の渡し

厚木の渡し
相模川をわたるために設けられた渡船場で海老名市河原口をむすび五隻の船で往来してた。

 

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ここは大好きなラーメン屋さん”MOJA★MOJA”のすぐ近くで、普段でも何気なく通り過ぎていた場所。今回道標巡りをすることにより走行中でも間違いなく目にすることとなった。