ここは車道からは植物に隠れて何度か通り過ぎても気が付かなかった。
平塚方面から来た荷馬車が暴れだし、馬主が死亡したことから、馬を慰め、馬主を弔うため、明治41年9月、近郷近在の馬の関係者により馬頭観世音の碑が建立される。
ここは車道からは植物に隠れて何度か通り過ぎても気が付かなかった。
平塚方面から来た荷馬車が暴れだし、馬主が死亡したことから、馬を慰め、馬主を弔うため、明治41年9月、近郷近在の馬の関係者により馬頭観世音の碑が建立される。
ここは、昔の矢倉澤往還で愛甲郡と中郡(大住郡)との境界でしたが、昭和30年に中郡相川村は、厚木市に編入合併しました。
往時、矢倉澤往還と八王子道が重なった部分で、平塚へ通うのに利用されたところから、平塚街道と称された。
渡邊崋山の厚木六勝図に『桐堤の賞月』として、当時のありさまが描かれている。
601号線旭町4丁目交差点付近
斜め向かいのミニストップで休憩。
1810年頃、ここを訪れた六部(行脚僧)らが浄財をもって石橋にし、明治中期に架け換えるに際して「きりんど橋」と称した。
古老の話しによると、聖代(せいだい)の御代には神獣きりんが出ると称して「きりんど橋」と呼ばれるようになった。