ここは情報に振り回されて何度も何度も上依知小の周りをグルグル回ってしまった場所です。
情報の住所・緯度・経度も違っていました。508号線の下の道にありました。近くにはAQUA Pizzaさんが有ったのでピザ食べればよかった。
碑文:
坂の途中に七面堂(観音堂)があり、この七面堂へ参拝したので堂坂と呼ぶようになった。
今は七面堂はなく、観音像は宝泉寺(ほうせんじ)に安置されている。
ここは情報に振り回されて何度も何度も上依知小の周りをグルグル回ってしまった場所です。
情報の住所・緯度・経度も違っていました。508号線の下の道にありました。近くにはAQUA Pizzaさんが有ったのでピザ食べればよかった。
碑文:
坂の途中に七面堂(観音堂)があり、この七面堂へ参拝したので堂坂と呼ぶようになった。
今は七面堂はなく、観音像は宝泉寺(ほうせんじ)に安置されている。
昔、猿ヶ島へ渡ってきた人が大山参詣に通った道であるが、当時、依知地区には多くの馬が飼育され、農耕以外にも厚木方面への荷物輸送に馬が使われ、この坂を通ったところから馬坂と呼ばれた。
依知村長を務めた中丸重郎兵衛(なかまるじゅうろうべい)が梅沢重義(うめざわしげよし)・梅沢忠左衛門(ちゅうざえもん)らの協力を得て、明治24年に設立した。
教授は、加部成興(かべなりおき)であった。
明治35年に閉塾となった。
明治22年から昭和30年まで続いた自治体で、山際、上依知、中依知、下依知、金田、関口、猿ヶ島の七カ村が合併して成立。
「一遍上人の念仏」。ここは、昔から渡場(わたっぱ)といい渡し船のあった所で、700年前一遍上人が水難防除の念仏を唱えられた所である。
特に子供の事故が続いたので、人々の安全を願って、一遍上人三十代の他阿上人(たあしょうにん)が、室町時代に建立されたのがこの名号塔である。