碑文:
三田小学校とは、明治6年5月静学館(妻田村)支校「三田小学校」としてこの地に創立され、明治20年に「尋常三田小学校」と改称し、昭和48年7月に児童の急増にともない、現在の場所に移転された。
八幡神社階段上り口右側に設置されています。分かりずらい場所です。
碑文:
三田小学校とは、明治6年5月静学館(妻田村)支校「三田小学校」としてこの地に創立され、明治20年に「尋常三田小学校」と改称し、昭和48年7月に児童の急増にともない、現在の場所に移転された。
八幡神社階段上り口右側に設置されています。分かりずらい場所です。
碑文:
江戸時代の農村は、豊年の年はともかく、凶作の年には年貢を納める金子がなく、田畑を質入れして年貢を納めるため、荻野新宿の質屋へこの道を通ったと伝えられている。
この道標を探し当てる難易度は非常に高い所でまるで人の家の庭に入っていくような錯覚を起こす場所でした。
碑文:
明治22年に三田、及川、林、妻田、棚沢、下川入の6箇村により愛甲郡三田村外5箇村組合村となる。その後、昭和20年に6箇村が合併し、互いに仲良く睦み合うという意味から睦合村となり、昭和30年までこの地に村役場が置かれた。また、平安時代、この一帯は、印山郷と呼ばれていた。
三田老人憩いの家入り口に設置されています。
碑文:
貝殻坂
市島地区に下る坂を貝殻坂と呼よび、坂付近から貝の化石が出土するところからこの名前がつけられた。所在地 厚木市棚沢133