碑文:
人家も少なく寂しい坂道なので、大声で歌を歌いながら通ったところから、うとう(謳う)坂といわれている。
厚木市中荻野111付近
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江戸時代の農村は、豊年の年はともかく、凶作の年には年貢を納める金子がなく、田畑を質入れして年貢を納めるため、荻野新宿の質屋へこの道を通ったと伝えられている。
この道標を探し当てる難易度は非常に高い所でまるで人の家の庭に入っていくような錯覚を起こす場所でした。
碑文:
下川入の鎮守社・諏訪神社の北側に位置し、通称下川入上の坂(下川入には台地を結ぶ3つの坂)といわれている。神社付近を諏訪の原とも呼ばれている。
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貝殻坂
市島地区に下る坂を貝殻坂と呼よび、坂付近から貝の化石が出土するところからこの名前がつけられた。所在地 厚木市棚沢133
相模川は、平安時代に鮎川と呼称され、江戸時代には鮎を将軍に献上しました。
当時の鮎漁には鵜飼があり、この坂を藤兵衛(とうべえ)さんが鮎をとるために鵜
水鳥)を連れて通っていたことから、「鵜藤坂」と呼称されるようになりました。
現在、鵜飼は岐阜県長良川が有名です。
ここは情報に振り回されて何度も何度も上依知小の周りをグルグル回ってしまった場所です。
情報の住所・緯度・経度も違っていました。508号線の下の道にありました。近くにはAQUA Pizzaさんが有ったのでピザ食べればよかった。
碑文:
坂の途中に七面堂(観音堂)があり、この七面堂へ参拝したので堂坂と呼ぶようになった。
今は七面堂はなく、観音像は宝泉寺(ほうせんじ)に安置されている。
昔、猿ヶ島へ渡ってきた人が大山参詣に通った道であるが、当時、依知地区には多くの馬が飼育され、農耕以外にも厚木方面への荷物輸送に馬が使われ、この坂を通ったところから馬坂と呼ばれた。