碑文:
現厚木神社の前身である牛頭天王が祀られていた所で、字名を天王免と称し、天王社が祀られている事から税が免除されていた地です。牛頭天王は、インドの厄病除けの神様で、社の創建は古く、平安時代の天延年間に右大臣の藤原伊尹が観請、創建したと伝わる。
厚木神社内にあります。
平安時代より疫病除けの神として牛頭天王が祀られ那須与一も眼病祈願をし、厚木のお天王様として親しまれた。
夏祭りはお盆とも重なり近郷近在より田植え後の老若男女が繰り出し露店や見世物小屋も掛り、人の波で沸き、賑やかさを呈した。
現在は厚木神社と称し尊崇されている。
通りから神社へと入っていく道で神社前に設置。
平安時代、この地を船木田郷と称し、水辺で船に係わる集落を郷名とした発祥の地と伝えられ、近くには江戸時代に立場(休憩所)があった場所です。
現在の船喜多神社は船木田郷の遺名の神社であると伝承される古社です。
相模川の側道の一段下に設置。駐車場が目印かな。
相模橋の事をいう。列記とした名前がありながら庶民の思いにより愛称された「じょう橋」。
昔は渡船で渡ったが、明治末期に常設橋が架かり、常に在る橋、常に渡れる待望の橋、そんな思いから自然に言い伝わってきたロマンを秘めた橋。現在はあゆみ橋。
ここも分かりにくい所で、路地を入って行き普通の民家の前に設置ありました。
昔、妻田村と水利を巡る争いに勝利した厚木村は、現・日枝神社の地に勝利庵(松林庵)を開き、負けた妻田村から山王社を移して裏山に奉りました。後に寺は廃寺となりその跡地へ山王社が移され、日枝神社と改名して現在に至ります。
市役所のまん前に設置で分かり易い。
現在の栄町2丁目にある牛頭天王社跡地付近から厚木神社のある旧字天王町、現在の相模大橋周辺まで一直線に通る道を江戸時代まで天王大縄手と呼んだ。
その後「中学通り」「高校通り」「中央通り」と時代に即した名称となり、現在に至たる。
厚木中学校前の遊歩道に設置されており車道側から視認しにくい所だった。
室町時代に灌漑用に造られた用水路で、小鮎川より水を取り入れて、厚木-岡田-酒井-戸田-大神-田村に流れていたため、「田村用水」と呼んだが、通称「田村堀」として知られている。
その後、昭和初年に改修され「昭和用水」となる(今は、用水のほとんどが覆われ緑道として親しまれている)。
路地の一方通行に設置されており車移動では見過ごされる所にあった。
この道は、北は弁天町から南は岡田村落へ向かう「厚木用水」に沿った道であり、寿町一丁目長福寺前付近の字名も「諏訪海道」とよばれていた。
厚木の渡し
相模川をわたるために設けられた渡船場で海老名市河原口をむすび五隻の船で往来してた。
ここは大好きなラーメン屋さん”MOJA★MOJA”のすぐ近くで、普段でも何気なく通り過ぎていた場所。今回道標巡りをすることにより走行中でも間違いなく目にすることとなった。